2016/09/27

集スト被害を仏法の文証で考える。その壱

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10月!目覚めよ日本!国家権力犯罪街灯演説!告知!
10月3日(月曜日) 12時~15時まで
        金沢駅東口ホテル日航ポルテ金沢横
10月4日(火曜日) 16時~19時まで
        金沢市武蔵エムザ前
以上で行います。
10月はまた中頃にも予定しています。
 
●集スト被害を仏法の文証で考える。

今回の記事は仏法の事を中心に書きますので分からない方は致し方ありません。
また本日合った大切な被害者へのメッセージでもあります。
今日は言っていた処には行かずにこの記事を書きました。

前記事にて創価学会の一代目会長の獄死の事を書きましたが、一般の人は知らなかった事のように思いますので、悪い事をして掴まって獄死したと思われてもおかしいので説明します。
そしてそれに準じて仏法の文証に照らし合わせて集スト被害というものを解説してみます。

まず創価学会の牧口一代目会長ですが、戦争中という事で日本は国家神道で統一され天照大神を敬い天皇家を柱として
戦争に突入して行きました。
ですから寺院にも神棚を儲けなさい等と当時の特高警察が無理強いをし日蓮正宗にもその風は、同じように吹いていました。
そしてその中の信徒団体である牧口会長率いる創価学会は、まだ小さい団体だが活発に活動をしていて、治安維持法に触れ
国家神道を真っ向から否定した態度でしたので逮捕されたのです、これは自身の信じる日蓮大聖人の教えを信念を持って当時の国家体制とは関係なく貫き通した故の投獄となったわけで泥棒をしたのではありません。
二代目会長の戸田城聖も同じく投獄されたのです。
当時の国家権力により宗教信者を弾圧、投獄したという事です。
そして牧口会長は牢屋で亡くなられたという事で、日蓮正宗信者としては信仰を貫き通したという事で褒め称えられる行為であり、日蓮大聖人の御目に叶った信心であったという事になるのです。

仏法では一般の他の人から見て分からない事が多いと思います。
何故日蓮正宗とは我武者羅なのか?
熱烈信者が大勢いるのか?
他のl仏教では考えられない程、熱い感覚があるのは何故か?
御釈迦様の檀家信心で、獄死等ありえるのか?
そこを比べて何故なのかを調べてもらいたい処です。

まず自力本願の宗派である事が一つと、仏法という法則を生活に取り入れているという処にあるのです。
そして集スト被害者が嫌う言葉ですが、広宣流布と言う悲願があるのです。
(広宣流布とは日本国万民一同に他事を捨てて南無妙法t蓮華経と唱える事で日蓮大聖人は「大地を的とするべし」絶対と仰せられています。現在の創価学会が言う広宣流布とは全然違います。)

さて今我々集ストテク犯被害者に付いて仏法の経文、日蓮大聖人の文証に依って解説してみます。
日蓮大聖人の仏法は全て文証によって解説出来なくてはなりません、誰かがただ言った的な言った言わないの世界ではありません。
文の証拠を上げて他宗との法論をするのです。
書いたものが無い、お告げがあった等の類のものは証拠とはしません。
それにより論破していくもので、口論、ディベート等とも違います。
それにより勝ち負けが生まれ、負けた宗教は無くなるのが本来の法論で、命がけなのです。
テレビ討論等の公開討論で、時間切れでまた来週等といった次元のものではありません。
言って見れば武道の他流試合のようなものです。
そこに文証という物が重要なものです。
仏教に於いては経典、日蓮大聖人の御書がそれです。
その中から、この犯罪に関する文を挙げ解説してみます。

それは権力によって迫害や虐待を受けると言う意味で、加害者の所業と被害者の受ける難として解説します。
本来は仏道修行をする上での障害と敵の事です。
より高い教えで崇高な教えであればある程、その反対の働き止めさせようとする働きマイナスの働きが同等にあります。
世間の事でも何か大きな物を得ようとすれば、それに匹敵する邪魔する働きがあるのと同じです。

三障四魔(さんしょうしま)
三類の強敵(さんるいのごうてき)

この2つの仏法用語にその事が含まれています、まず三障四魔(さんしょうしま)

摩訶止観(まかしかん)五上には、
「六根清浄の位に至ることを得ざらしむ。故に名づけて障と為す」とある。
具体的には、煩悩障、業障、報障をいう。
これを三障と言い、この中の報障にこそ権力による障害が述べられています。
簡単に前二つを説明します。

◆煩悩障(ぼんのうしょう)
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒である。
貪(むさぼり)
瞋(いかり)
癡(おろか)
の三煩悩のことで、衆生を今世、来世にわたって害するので毒と名づけるが、仏法では現在生まれている生命は全部この三毒の者である。

この三毒が世の中に充満すると、個人のみならず一国にも不幸を及ぼし、小の三災(飢渇・疫病・合戦)の原因となる。
日蓮大聖人は、「減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり、飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・
合戦は瞋恚よりをこる」とご指南されている。
現在個人に訳して分かり易く述べると、欲望が自身の中から湧きおこり、それに囚われて真にやらなければならない事(仏道修行)を見うしなう。
自分の欲望に負ける事です。

◆業障(ごうしょう)
五逆罪(ごぎゃくざい)や十悪(じゅうあく)などの業によって起こる障害。
五逆罪とは、父母を殺す、阿羅漢 (あらかん:悟りに達した聖者)を殺す、破和合僧(教団を分裂させる)、仏身より血を出すなどの最も重い罪の業である。
十悪とは、①殺生、②偸盗(ちゅうとう)、③邪淫、④妄語、⑤綺語(きご)、⑥悪口(あっく)、⑦両舌(りょうぜつ)、⑧貪欲(とんよく)、⑨瞋恚(しんい)、⑩邪見の総称である。
過去世、現世の罪で、様々な問題が生じて、仏道修行を妨げる。
具体的には、殺生は短命、偸盗は貧困、邪淫は伴侶の不貞、妄語(うそ)は多く誹謗される、綺語(おせじ)は語るに明瞭さを欠く、
悪口は常に悪声を聞く、両舌は眷属の離反、貪欲は心に足ることを知らず、瞋恚(うらみ・いかり)は常に他より悩乱される、
邪見は邪教の家に生まれ心が諂曲(てんごく)となる。

簡単に我々の身の回りで考えると、自分と同等の人達が良い事をしょうとしている者に対して止めさせようと様々な事を言われたり、止めさせようとする障害になります、同等と言うのは兄弟、友人、妻、夫、会社の同輩等がそれに当たります。

煩悩障は自分の中から、業障は自分と対等の者からとなります。

そして次に説明する報障に自分より強い者による妨げる働きが集ストテク犯に当てはまると考えます。

◆報障(ほうしょう)
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)並びに修羅道などの苦報によって起こる障害。
また、国主や父母、あるいは社会的な権力者など、自分より目上の者によって仏道修行が妨げられる障害をいう。
この報障が仏道修行をする上で他の二障より強力で、多くの修行者が退転してしまう大きな障害です。
しかしこれこそを乗り越えれば仏果を得られるというものです。
さて集ストテク犯は、概ね目上の人と言うか権力や財力を誇示し政治勢力、国家機関、警察、病院、役所等々企業、暴力団、
土地の有力者、カルト教団等の個人では勝ち目のないように見える組織であったり、集団で個人に対して行われます。

そして集ストテク犯に限らず、仏道修行に関係無く、この権力により迫害を受ける場合もあります、冤罪です。
これを単に結果として受けたなら、原因はどこにあるのか?
警察が誤認逮捕した、警察の不祥事を隠す為に等が考えられるが、身に受けた被害者は何十年と牢獄に入れられ人生を台無しにされるのです、拉致被害者然り、シベリア抑留者然り。
何の身に覚えも無いのに、国の力により個人が惨い目に遭うという運命は多々あります、集ストテク犯被害者は私は最近拉致被害者の初期の状況と似ていて誰も信じてもらえないと言う意味で同じだと言って来ました。
ここで前にも書いた因果応報でない限り説明不可能な出来ごととなる分けです。

冤罪被害者から比べると我々の被害は甘いもので、上手い物は食べられるし遊ぶ事も可能なのです。
現実の牢獄に入れられるのと、集ストテク犯という牢獄に入れられるのとでは又いきなり北朝鮮に連れて行かれ生活をさせられる、シベリアに連れていかれて労働をさせられる等から比べると、昼寝しているようなものが集ストテク犯被害者とも言えます。

そして仏法の法則を当てはめて、この国家権力に運命を弄ばれる仕組みを解説すると、過去世にその原因を作ったから受ける報いとしてあるのです、報障の報いの文字は、そういう意味で過去に作った罪業により報いとしてその原因を作ったからには受けねばならない国家権力からの苛めとなるのです。
冤罪者は警察を恨み、国家権力を憎み、拉致被害者は国家を憎み、シベリア抑留者も戦争と国家を恨み苦しむ分けです。
集スト被害者はカルト教団を憎む等となるのかもしれません。

仏法の場合、原因は無いのだが真の仏道修行をすると、その方は本当に仏様になる、成ってしまうので、この障害が起きるので、
日蓮大聖人様は
「行解既に勤めぬれば三障四魔憤然として競い起こる」
と仰せられていますので信心修行がいよいよ本物になってくると、憤然と起こってくるのです。
これが創価学会初代会長の獄死に言える事でもあります。
ですから信心修行に於いては、日蓮大聖人は一歩も引くなと仰せで引けば悪道に堕すると言っています。

これは仏道修行での話ですので、一般庶民が突如国家権力により何かの迫害を受けた場合、逆らえば即死を意味する場合もあり、それを勧めている分けではありません。
私もその迫害や加害の強さにより、活動が潰される可能性もありますし、自分以外の誰かに危害が及ぶ等の脅しにより、中断せざる負えない
状況も考えられます。
一時的なものもあれば、本当に頓挫してしまう事もあるでしょうが、我々には一つ本当に自由があるのです、それは心で戦えるのです。
ブログを始めたが加害がきつくなり止めざる負えないが、負けたのでは無く、戦った事実はブログを見た人は覚えていますし、残っていれば証として残ります。
また行った行為は消えません、時間が立ち皆忘れても変らず真の事実は、誰が見ていようが、見ていまいが関係なく刻まれます。
そして今後も心は戦い続ける事は出来るのです。
身体、行いとしては何もしていなくとも心はこれを許さないという決意があれば十分戦っているのです。
拉致され北朝鮮に行って運命に翻弄されても、「身は従っても心は従わず」という事が可能です。

しかし仏法は体世間は影という御金言もあるので、仏法と世法は別物ではありませんので中々難しい説明をしてまいりましたが、心まで引いてしまえば心まで被害者にのまれてしまうと言うのは悪道に堕する原因となるでしょう。
そして知っていて言わないのも同罪と言えます。
被害者の状況を考えると酷な事ばかり言っているようで辛いのですが、私にも言い聞かせていることになり、それによって心を戒めている事でもあります。
たまたま活動出来る余力があるから出来ているだけで、本当に無理せず力に応じて周知、あらがってまいりましょう。
文章が分かり難いのではないかと心配ですが、ブログの記事ですので思うままに書いてみました。
また分からない事がありましたら解説いたしますのでメールでお知らせ下さい。

三類の強敵(さんるいのごうてき)に就いてはまた述べます。

※御相談御質問受付しています、お気軽にメール下さい。
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ムラサキツユクサさんへ

心配いりませんよ。
ご希望のようにもう破棄してあります。
応援ありがとうございます、死んだら後お願いします!